ナガタン打ち 本庄上の藤原國蔵さん

 三条小鍛冶いうてなあ、名刀を打たれた人じゃ。
あの人が若あ時分に鍛冶屋さんやっとりなってな、
刀鍛冶になるまでに野鍛冶の時代にですなあ。
 そこにお嫁に行っただけど、仕事ぁしゃぁせんし、
のらりくらりと遊んどるだし、
今日食べるもんがのうなっても、
ほんなことは気にせんと遊んどるし、
こんな人のところに一代おったって、
わしゃ困るばっかりだ思うて、嫁さんがな、
「お暇くれえ」いうて。
 ほしてしたところが、
「ああそうか、わしに見込みがなあでぬるんなら、
いつでも暇ぁやる。お前幸せなとけぇ行くがええ。
 わしも、 長あ間、わしに勤めてくれたで、
 何か心持がしたいと思うけど  なんにもしちゃるもんがない。
 こなあだ打ったナガタンがそこにあるで、
そりょう持って去ねえ」
いうてな、へて、主人がナガタンくれた。
 「三年も五年も辛抱さしてもらって、
 こんなもんもらって、こんなもんが何になる」
いうて、ぶつけ投げたん、奥さんが。
ほしたら、
かど口の石段が、すらーっと、そのナガタンで 切れたいうて。
名刀じゃったわけだなあ。やっぱり切れる金物を打つ、
せえだけの腕があったいう。



 石が切れたんで、奥さんびっくりしてしもうてな、
はあ、こんな立派な、石の切れるような刃物を打つ人じゃったら、
こりゃ将来見込みがあるいうて、主人に謝ってな、ほして、
「わしが悪かった、もう、わしが気ままなことを
言うてすまなんだけど、一代置いてくれえ」
ほして、そこに世話になって、それが、のちに有
名な刀鍛冶になった。
 それから、ナガタン打ついうことが始まった。
そういう話。☒